義務教育は親の義務です。子の権利です。
何も学校に行かせねばならないことはないのです、教育する環境があるなら。
尤もその環境がある方はそうそう無い。
国は義務を課す分その環境として学校を提供しているわけです。
どの様に教育するかは親の責任なんです。決して先生任せではいけないのです。
便宜的に任せるとしても、
口を出すからには(出して当然なんですが)どう教育するかを先生とコミュニケートしなければいけません。
先生が教育の主体ではない、義務を負った親なのであり、学校ではない。
学校が求めるのはルール(契約と言っても良い)である。それに従う上で主体は親、学校は親に代わって行う場なのです。
その場に於いて社会の何たるかを学ぶ、基礎ではあるが。
学校という場を利用するからには、他の子、親、先生、...国などの考えがそれぞれにあります。
社会を形成するわけですから、それぞれのコミュニケーションが必要です。
場そのものが社会現場でないのか。
そこにいることが既に教育なのだ。
いじめ、個人情報、単位不足、日の丸、...そこに起きる事象が即題材ではないか。
本来、総合学習のねらいはそこにあるはず、物事は教科書のように細分され別個にあるのではないことを理解することなのではないか。
教育は単なる知識の伝授ではない。
忘れてはならない。
従わせるためではない、
育てるためにあるのだと言うことを。
ならば、
何故コミットすることを避ける、しても主張だけをするのか。
何故、絶好の好機に、生徒は蚊帳の外に置かれるのか。
社会の歪み、それが教育現場にも...
全く関係ないわけでなく、であるのにコミットできないと虚無に陥るかも知れん。
子はバカでない、柔軟な頭脳は良くも悪くも感じ取る、「違う」と。
コミュニケーションは正しく行われていると言えますか。
その問いに於いては親の責任が大きいと私は考える。
勿論、先生、学校として、...国としての責任も大きいがそれよりもだ、子の事を考えればです。
#まぁ、そう言うよりもだ、ご自分の可愛い子の事ですよってことで
ハッキリ言えばPTAがPTAとしての本来の機能を全く果たしていない。
坂本金八や北城尚子はおりませんから。
つづく。
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