ゆとりって何でしょう。
ネット上などでも聞くところでは時間的なゆとりを意味しているのが多い。
それもゆとりには違いないんですが...
私は「度量」と解します。
事に当たって揺るがない。
矜持を保ち、仁が崩れないとも言える。
自分を信じる(軸と言っても良いかな)ことが出来るかであろう。
相手を人として思いやれるか、心のゆとり。
幾ら時間が取れたって、それなくては寂しいもんだ。平穏など持ち得ないだろう。
どんなに忙しくともいい汗かけるときって、良い気持ちなんではありませんか。
それ、体は忙しくとも心に余裕があるって時なのよね。
その汗って達成感とともにある。
そんなとき、一杯のコーヒーに幸せ〜と感じるようなもんだろう。
いいや、例が違うか。
そうだな、例えば、
批判を受けたとき、その批判を受け入れることが出来るかってことかな。
何事か挑戦したが、出来なかったとき、それを受け入れられるかってことかな。
批判を受け入れるとは、理解すること。
理解とは認めることであるが、決して従うことではないですから、勘違いしないでよ。
出来なかったからと言って自ら人格破壊すんなよ。
己という核ってのは変わりないんやから。
受け入れると人はそれだけ大きくなるもんだ。
そんな大層なもんやない。
ホントに精一杯やったか...であろう。ただそれだけ。
なら、自分に満足できるのやないかい。
人は関係ない、他人の評価を気にするのはまだまだやで。
今までの努力を生かすも殺すも自分次第。
出来なかったで捨てることないやろ、そんなつまらんこと目指していたんかい、ちゃうやろ。
なら、それでええやないか。あるがままに受け入れなさいな。
ほら、少し余裕が...
景王赤子
『民の誰もに、王になってもらいたい。
人は誰の奴隷でもない。そんなことのために生まれるのじゃない。
他者に虐げられても屈することのない心、
災厄に襲われても挫けることない心、
不正があれば糺すことを恐れず、豺虎(けだもの)に媚びず、そんな不羈(ふき)の民になってほしい。
己という領土を治める、唯一無二の君主に。
そのためにまず、他者の前で毅然と首(こうべ)を上げることから始めてほしい。』
#不羈:自由な心、囚われない心(NEeDS訳)
ゆとりとはそういうものと、そういう心構えから生まれる、そう考える。
だから「度量」。
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で、4本以上の隙間があれば、それが心のゆとりとなって他人にも寛容になれるんだよな。
仕返しコメントです。
削除したら、きっと一太郎2007が暴走します。